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2015年1月 9日 (金)

表現の自由はどこまで許されるのか

パリの週刊誌出版社で12人が射殺される悲惨な事件が起こった。犯人はイスラム原理主義のアルカイダの2人と言われている。今現在逃亡中で、人質を取って警察と対峙している。

 この事件に対し、世界中の民主主義の国では表現の自由に対する挑戦であり、断じて屈服はしないとの声明が出されている。勿論、このようなテロは許されるはずは無い。表現の自由は守られなければ民主主義は成立しない。言論統制は独裁国家である。チャイナ、北朝鮮はその例で、韓国も産経新聞支局長問題からしてかなりあやしい。

 しかしながら、今回の事件にいささか違和感を覚えたのは、犯人は所謂「イスラム国家」の国民であり、民主主義者ではないのである。「表現の自由」という概念は民主主義の国民には通用しても、「イスラム国家」には通用しない。文明の衝突である。そして根本は移民したイスラムの人々の経済的な困窮にある。

 私は、結婚式は神式で初詣には成田山に行き、クリスマスにはケーキを食べる、おそらくかなり典型的な日本人である。つまり一神教徒ではない。従って一神教徒にとって自ら信じる神様への侮辱がどの様に感じるのか想像がつかない。

 西欧的価値観の押し付けだけでは、文明の衝突は今後も続くのであろう。ではどうするか、まさか人類全てにとっての普遍的価値観がそう簡単に誕生するはずは無い。先ずは相手を蔑み、揶揄することは慎むべきなのだろう。テロ犯を擁護するわけではないが、今回問題となった風刺画は破廉恥極りないと思う。

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